鮮やかによみがえる五感の記憶  


 「夏休み」という言葉に、胸の奥から何かが突き上がってくる興奮を覚えたのは、いくつぐらいまでだったろうか?


 7月に入った頃から、今か!今か!と待ち望んだ夏休み。


 それなのに、一人っ子の私は〈時〉をもてあまし、小学校の校庭へ出かけ、灼熱の太陽の下で誰か仲間が現れるのを待っていました。

 まだプールなどなかった時代です。


 触るとジュッと音がしそうな鉄棒を握りしめ、ヤケドするほど真っ赤になった手のひらや膝の裏。

 そして、あの鉄の匂い!

 水飲み場の蛇口を全開にして口をつけて飲んだ水……。

 生ぬるい日なた水から徐々に冷たくなる感覚まで、不思議によみがえってきます。


 子ども時代の五感に刻み込まれた記憶は、妙にリアルに覚えているものです。

 子どもの頃の私は、いつも夏の中にいたような気がします。


 今回ご紹介する本は、ロバート・マックロスキーの描いた『海べのあさ』という本です。


 マックロスキーは、一年の大半をアメリカのメイン州にあるベノブスコット湾に浮かぶ無人島で暮らしました。

 ここでの生活を描いた3冊の絵本『サリーのこけももつみ』『海べのあさ』『すばらしいとき』は、家族とこの土地に対するマックロスキーの愛の結晶と言われている作品です。


 物語は、『サリーのこけももつみ』に登場した幼くあどけなかったサリーが4、5年の歳月を経て、姉としての自覚も芽生えながら〈歯が抜ける〉という体験に瑞々しい驚きを見せるところから始まります。


 子どもにとっては、一大事件なのです。

 でもそれは、〈大きくなったしるし〉と言われ、ドキドキした中にちょっぴり誇らしげな気持ちがいっぱい詰まっていて、会う人、会う生き物たちに「私!歯が抜けるの!」と、報告します。


 海辺のある一日が、紺色のインクで綴られていきます。

 漂ってくる潮の香り、自然の懐に抱かれて五感をフルに使って過ごす日々。

 あらためて感じさせる家族の絆。

 すべてに守られて思い切り跳ね回って過ごした時間……。


 誰にでもあったろう、そんな日々をゆったりと思い出させてくれる、懐かしさが宿る一冊です。


*サリーと妹のジェインがお父さんに連れて行ってもらう「バックス・ハーバー」や「コンドンさんの修理工場」は、今も絵本そのままに実存しているそうです。


ロバート・マックロスキー●作・絵

石井桃子●訳

岩波書店 定価1785円




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